病気になったら、病気かもしれない?と思ったら、病院へ行く・・・・何も疑問に思わなかった頃があった。
小さい頃から誰に教わったのでもなく命を救う職業は人として尊敬されるのだと思って美化していた・・
しかし、間違った思い込みであった。医者というのは人格者でなないということ。だが悪人ではなくある知識を持った技術者である、というだけである。
今までに医者にかかったときに疑問をずーっと持っていたことが、頭でまとまらずに、最近はネットで色々な意見を読んで頭の中が整理できた。
医者が悪いわけではなく自分が勘違いしていただけである。
例えばレントゲンを撮ったとする。しかし、原因がわからなかったする。医者に期待していたのは、なぜ痛くなったのか、なぜこうなったのか?という原因を知りたかったのだが、今までにかかった医者誰一人として答えは聞かれなかった。あったとしたらどこかでプリントされたような注意事項のような物をわたされるとかであった。一人一人違うのが当たり前なのに自分の症状を見て、の答えではなかったのだ。
そんなことがあり、そしてコロナ感染が始まって、クリニック、病院自体が患者受け入れを拒否していたため、ここ3年は医者に行くということがなくなった。その結果、ちょっと風邪ひいたかも?とかちょっと関節が痛くなった?だのと、安易に医者に行くと言う疑問がさらに大きくなった。
何をいいたいか?と言うと、西洋医学だけに頼ることは正しいのか?ということ。
まったく頼らないというのはこれだけ医学は進んでいるのに勿体無いことである。だから、西洋医学を最高の唯一の手段、と言う考えをなくすことで、自分の意識が体をも変える力がある、、、ということを気づくことが良い結果になるのではないか?と言うこと。
そんなことを考えていたら、、ある文書みつけた。
篠原佳年 という医学博士が唱えている自然治癒を進める、と言うことだ。「快癒力」と言う本で説明しているようだが、本は読んでいない。概要の抜粋がネット上にあげられており、多少理屈っぽいのだが、良いと思った内容をキャッチコピーのように抜粋すると(以下要約して抜粋)
病気にとらわれ、病気を気にしていては、いつまでたっての病気は治らない。また、絶えず健康を気にしている人も病気になる。病気も健康も気にせずに、人生を楽しく生きるコツを伝授。
「幸せになりたい」は、今、「幸せでない」状態からくる思考で、今、「幸せである」と思考してれば幸せな現実になるということです。
盲信するわけではないが、全ての病が治るのは自分の気持ち次第であるということ。付け加えれば、病気を気にしなければ病気が体の中に存在したまま大往生し終わる、ということ。病気が悪さをしないなら、別にあっても良いわけである。それに逆らって、毎日悩んだり、不安にあったり、手術をしたりあちこちいじくったりして、病気に大きくフォーカスしてしまうことが人生の大事な時間を無駄にしてしまっている、ということじゃないか?と思う。
まるで心療内科の医師、のカウンセラーような言葉だが、いや、心療内科の医師のカウンセラーするような安心させるための言葉、、ではない。
本来、人の体は物体だが、精神・気という目に見えないもので左右されるし成り立っている、、、というリアルな考えである。
自分は神秘主義者ではないし宗教など入ってもいないし逆に宗教的な信仰は嫌悪しているのだが、目に見えない人の意識がおこなうこと、は、一番、現実的であると思っている。