ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

ふと気がついた。自己が逃げたせいで相手を傷つけていた

ちょっとまえに、気がついたことがある。自分にとっては後悔のようなことだけれど、人生がいい方向に向かうと信じて。

夜寝るときに、布団にはいってぼーっと考えていた。

「なんで嫌いな人があらわれるのだろう?」

2日前のこのブログでもそのようなことを書いたが、誰でも嫌だなぁと思う人に人生で必ず何人も会うと思うし、その嫌な人に会ったり会わなければいけないときにどうするか?どうしたらその場を無事に過ごせるか?ということを、誰でも考えていると思う。

こういう人間関係の悩みが現代人のストレスの原因のほとんどだと思う。

顔で笑ってその場をいい雰囲気にして終わらせるか、または、嫌なそぶりを見せてその場の雰囲気を悪くして相手に気づかせるか。。。そういうのも一つの方法だとおもうが、これは良い解決策ではない。

見た目、とても愛想のない人はいる。それは他人に好かれも嫌われも関係ないという中庸というか、周りの人目が気にならないのか、もともと他人とは関わる必要がないと思っているのかわからないが、そういうスタンスの人がいる。本当に気に入った人にしか話をしないのだろうな、などと想像したり。そういう自然な人が羨ましいと思ったことがあった。人によく思われたい、人に嫌われたくない、自分は八方美人的なところがある。

他人に気を遣うことを始めたら最後、長く続くわけもなく、正直にできない感情が溜まり、ストレスとなり、そのうち相手からどうやったら離れられるか?会わないようにできるか?そんなことばかり考えるようになっていく。波風立たないようにするにはどうしたらいいか、などと考えていくうちに「嘘」を考える。自分に理由を作って時間をずらして会わないように考えたり、なるべく接触を避けるか、無感情を装い相手が話しかけないようにするとか、姑息な手段を考える。

そんな解決策がは正しくない。

自分が嫌だな、と思った人が重大な犯罪者かそもそも自我が強く傲慢な相手だったら、速攻に距離をとった方がいいが、そもそも、そういう人物と関係をもつこと自体は特殊な場合なので省くが、そうでない場合、嫌だと思った相手から嘘を装って逃げたりフェードアウトしたりするのは自分が逃げることを重要と考え自分の身の安全しか考えていない、ということになる。

この自分優先で対処法を考えるのことが当たり前だと思っていた。しかし、それは初期段階でそもそも間違っている、と、ふと気がついた。

この場合、自分が相手を嫌だなと思ってフェードアウトしたら、相手は『?』という感情をもつと思う。「なんでこの人は自分を避けたんだろう?」と。そして悲しむかもしれないし寂しいと思うかもしれないし怒るかもしれないし自己嫌悪になるかもしれない(それは想像でしかないが)。 誰でもいままで普通にしていた相手が消えたり離れていった場合は、疑問が残ってしまうだろうし、消化不良的な嫌な気持ちになるだろう。

自分が嫌だと思う相手から離れたいために相手を傷つけたことになる。日常のことですぐに忘れる小さな出来事かもしれないが、数時間でも何日間でも何ヶ月間でも、確実に相手は傷つく。大きい小さいはあれど相手を傷つけた、ということに変わらない。

いままで「嫌だな・・」と思う相手から逃げることだけを考えていたと思う。フェードアウトしていたと思う。その結局、相手は傷ついていたと思う。自分が嫌だということで人を傷つけていた。

自分優先で逃げる方法しか考えていない、そこには相手が存在しない。相手の感情など考えていない自分勝手なもの。

そもそも逃げる方法を考えるのではなく(場合によっては逃げる方が得策の場合があある)、最初の「嫌だな・・」と思う理由を掘り下げていくべきだったのだ。 相手が自分に合わない、相性が悪い、自分を嫌っている(なぜか)という勝手な想像で、相手側に問題があるので自分は嫌いなんだ、と思っている自分がいた。相手が問題だと思っていた、ということ。

でも、相手が問題ではなく、そこには「相手に好かれよう」「うまくいかせよう」としか考えていない自分が問題であることに気がついた。

そして全てに言えることだが、未来に起こるだろう不幸なことも良いことも想像することをやめる、ということ。=「今」この瞬間を生きるということ。 悪い結果(未来)を想像しない、計画しない、上手に生きようとしない=今のこの瞬間瞬間を生きる、、、ということで、人との関係に悩まされることは無くなる、と思う。

少々理屈っぽくなりました。