ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

絵に描いたような老人になる必要はない

「もう年だから・・・」と、70を過ぎた人からよく耳にする。

自分は、そう言う人には ならないつもりです。

そう言うことを言うようになったら、あきらめてるようで、おしまい。

年を取ると、なんでもめんどくさくなる・・・・っていうのは、わかる。

体力的にね。

息切れするとか、ね。

 

でも、それは体力的な、物理的なことであって、

精神的なことまで老化してると思ってしまったら・・・ほんとにおしまいになる。

肉体って、そりゃ〜老化する。

お肌も髪も脳も。

3、40代の時に感じなかった体力の衰えは、感じる。

けど、それは使い続けた体だからあたりまえで、体力が弱くなったとか、筋肉がつきにくくなったとか、または、物覚えが悪くなったとか(認知症になってくるとか)そういうことであって、気持ち的なことは、まったく別だと思う。

精神が年をとったら、見た目も、考えも、ぜんぶ年齢以上に老ける。

体力がなくなった=年をとった、と思った瞬間、精神まで弱々しくなる。

 

年をとることを「枯れる」っていうでしょう?

枯れる・・・いやな言葉だ。

これを言った人は年をとったせいで何もする気がなくなって面倒になって笑顔も感情もなくした・・・そういう人だと思う。 これをずーっと刷り込まれている昭和の大人。

年をとるのは枯れること、と思い込む危険。

思い込むとか、口に出して言うとかで、本当になってしまう危険がある。

でも弱く面倒になるのはただ体力が昔より無くなっただけの話で、いや、もしかしたら若い人よりパワーのある高齢者はいる。それは漁師や大工や体を使う人たち。若い人にはない腰痛などが慢性に出てくるかもしれないが、気力というパワーは衰えない。

頭脳ばかりの企業のサラリーマン上がりの高齢者が「年とったからしょうがない」なんて冗談でもいってるとそれが現実になってしまう。

 

話は少し違うが、車の事故でブレーキとアクセルを踏み違えて店に突っ込んだり、人を殺したりの事故で、なんでブレーキとアクセルを間違うんだろうって・・・パニックであせってしまったのだろうか?っておもってたんだけど、ある認知症の医者の本を読んでわかった。あれ、たぶんほとんどが認知症の初期〜中等の症状がある人の事故だろうと。彼らは自分はしっかりしている、正しく運転できると思っている。しかし、できないことすら忘れているせいで事故る、危険だ。

パニックにはなってないと思う。ただ運転の仕方がわからなくなってしまうだけ。ブレーキもアクセルもわからなくなってしまう認知症。若くても年寄りはもちろん、自分は正しく運転できてるのになんで事故ったんだろう?と思っている、これが認知症の症状。

この本を読んで、最近はとくに道を歩いてる時に車の運転手の顔を見るようにしている。横断歩道や信号待ちのとき、曲がってくる車の運転手の顔を見て、高齢者の運転手のときは車道から距離をとって下がって逃げる。

 

人生を達観したような弱々しい老人は絵に描いたような老人像だけれど、それはお話の中だけでいい。絵に描いたような老人になる必要はない。

 

話変わって、

NHK 28日(日)の23時から6回放送のフランスのドラマを楽しみ観ようと思ってる。6人の癌を患ってるワケアリの女性が登山をするのだが・・・バリバリのシリアスではなくクスッと笑えるようなドラマらしい。

www.nhk.jp