東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

登場した時点でもう終わった商品

 きょうから暖かくなるらしい。

今はあたりまえのスマートフォン。

どこで誰でも操作している風景。

あらためて見回すと、駅のホームで、街角で、歩いてても、首がカクッと前に曲がってる人はスマートフォンを操作している。

それが普通で何も疑問を感じないのは平成生まれか10代。

そんな風景になってしまった今は町全部が不気味な光景に映る。

いつも感じるのは、末端を目の前に持って操作するスタイルの技術に、今この瞬間に生きている時代が中途半端で進化の入口にも立ってないと感じる。この首を曲げたままのおかしなスタイルの操作性と技術のままで毎日が過ぎていくことに何も疑問を感じないのだろうか?と。

つまり、スマートフォンはまだ携帯電話に毛が生えたぐらいのレベルにしか表現されてないと感じる、それはその操作スタイル。たとえば、漫画で未来の光景を描くとしたら今のように下向いてボーッと操作してる人々の風景は描かないでしょう?どこのSF映画でも空中に、正面に向かって透明なものを操作するような姿勢で表現している。

そんな中途半端なオモチャは魅力がありません。

携帯電話自体が登場した時、その時買って使って半年ぐらいで皆が使い出したらもう使う意味がなく古いものになる。4Gが5Gになっても操作性含め基本は同じレベルだから、登場した時点でもう終わった商品で、その旬の時点に進化を感じるだけで、その瞬間が過ぎたらもう過去の遺物なのである。

f:id:bearpond:20210309230955j:plain

f:id:bearpond:20210309231009j:plain

f:id:bearpond:20210309231039j:plain

画像はスピルバーグ監督のレディー・プレイヤー1より

だから今、紙の本が面白い。本を読む(操作する)ことは新しいとは言えないが本そのものの、ただの紙でしかないい物体の単純さだからこそこれからの可能性を感じる。つまり、進化するべきは物体ではなく人の精神である。精神のパワーというものを信じるか信じないか、はあるが、物の技術だけではもう限界だろう。人間の精神力を増幅するかして新たな操作性を開発する、、となれば進化したな、と思う。