おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

「良心」とは良い人にだけあるものじゃなくて、もともと罪をもって生まれた人間を戒めるための感情

小さな犯罪、大きな犯罪、いろいろあれど、

本人らが犯罪だと思っていない場合も含めて、

(じゃ、誰がジャッジするのかというのは後半でわかる)

犯罪を犯したらその本人の人生の履歴に傷が残り、

残念だが法の下では罪を償っても消えない。

刑期を終えても書類送検しても、心に刻まれた刻印は元には戻らない。

目には見えないけれど消えない、ということです。

刑務所に入って刑期を終えても、

プラスマイナスゼロにはならない。

社会的に償って自由になっても犯した行為は一生消えない。

なぜなら、刑は法の下での罪の償いだけで、心の中の履歴は存在している。

 

法律で決まっているので犯罪を犯してはいけない、のではなく、

自分の良心が正しく自分を判断しているか?

まちがった判断をしてしまっていないか?

が、わかっている人なのか?そうじゃない人なのか?でまるで違う。

自分の良心にいつも問うことが、重要なこと。

 

たとえば、小さい子供を親が叱る時に、

「そんなことをしたら刑務所に行きますよ!」とか、

「そんなことしたらお巡りさんに捕まりますよ!」とか、

そういう教育をしていたとしたら子供は大きな違えを犯す人間に育つ。

なぜなら、罰則があるという理由でしか、正しい行動ができなくなるから。罰則がなかったら気をつけもしない人に育つだろう。

今回のコロナウィルスが蔓延していた時期、海外では罰則があるのでマスクをしよう、罰則があるから外出をやめよう、という人々の判断が、損得勘定でやっているため、いったん規制がなくなった途端、予防をしなくなり、感染が広がっていくのだ。自分の良心に聞くことをしなかったのが原因だ。

 

犯した罪に対して「償い」というのは、誰に対して償うのでしょうか?

本来なら自分自身の心情に、です。

他人を巻き込んでいない罪は時間をかければ自分を許すことができると思うが、大抵の場合は被害者がいて、どんなに法が裁いても被害者が許さなかったり怒りが消えなかったりしたら、償うのは難しいでしょう。

それほど、犯罪や迷惑行為の加害者とそうでない善良な市民との違いは、己の良心がちゃんと育っているかいないかが、大きな違いになる。

 

毎日の報道を見ていたら、世界中で国のトップやテロ組織の卑劣で凄まじい犯罪行為が行われていて、いったい、どれだけの数の者が償いを必要とする人生を送ることになるのだろうか?? この人生では短すぎて償うにも償えないほどの悪事を犯しているのじゃないだろうかと、非常に疑問である。

自分が善良だとは言いきれないが、でも善良でいること、など、そんな難しいことじゃない。ただ、自分の良心に聞けばいいことだから。

法律など勉強しなくても自分の良心に問うてみればいいことで、もし、その答えがわからなかったら、その手の書物を読むとか、悩んでいるなら必ず何かと必然の出会いがある。いつも、すべての事象に疑問を持って生きることが必要じゃないかと思う。

大きな話になるが世界の抗争、戦争、ホロコーストなどを振り返ると、いつの時代でも善良な人々にとって犯罪者たちは存在し、同時に彼らは必要のない人間であり、悪夢である。

 

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話は少しそれるが、

問:動物に「良心」があると思いますか?

答:ありません。

「良心」というのは、人間だけに与えられたもの。いや、与えられたものというと、とてもありがたいものだという感じがするが、そうではなくて悪事をさせないために存在する感情であって、悪事や犯罪や利害や権力やそういう欲求がない人間がいたら、その人には「良心」など必要がない。

つまり、「良心」とは良い人にだけあるものじゃなくて、もともと罪をもって生まれた人間を戒めるための感情、と言える。それは動物を考えればわかる。

では、なぜ動物には「良心」が無いのでしょうか?

動物たちは憎しみや嫉妬や楽しみで他の動物を殺したり苦しめたりすることは一切無い、ということです。ライオンが草食動物を襲うのは生きるためだからで憎しみや利益のためでは無い。

つまり「良心」とは、動物には必要のない人間だけが持っているマイナスの感情=憎悪、恐怖、犯罪、などをあらわにするために存在し、負の感情をストップさせるために作られた「抗体」のようなものである、と言える。

 

<「パンドラの箱」の神話>

ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき、好奇心から開けたところ、中からは病気、妬み、憎悪、恐怖、犯罪、争いなどなど、それまで世界に存在していなかったあらゆる災いが飛び出してきた。急いでふたをしたので「希望」だけが残った・・・という神話である。

これはつまり、動物には必要がない人間だけにある罪=負の感情=業(ごう)のようなもののことを言っている。

犯罪、憎しみなどの感情を持つ人間には「希望」だけが救いであるというのがこの神話の教訓であるが、自分なら「希望」より「良心」が残った、と言うだろう。