おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

被害を受けても、悪人は彼自身の来世で必ず最悪の反省を受ける、だから悔しい感情は捨て負の感情で一生を生きずに自分を大事にしよう。

2〜40代のときは正義感が強かった。今も強いが、正義とは何?偽善?という疑問があるのであまり正義を語るのはやめたい。でも若いときは周りが全てずるくて汚い大人に見えた。今も十分に大人ななのにそう思う。ということは、正義を感じるのに年齢は関係ないんだなと思う。あの時の大人達は、大人だったから汚いずるいことをしていたのではなく、もともと生まれ落ちた時からずるい連中だったのだ。年齢は関係なくそういう人間が周りにいたのだ。

世界ではずるく嘘つきで残酷な人間が平然と生きている。不公平だがそういった人間では法を抜け優雅に楽に当たり前のように生きられる。

悪人は一生が終わるまで罪に問われず罰が当たらず逃げ切って往生する。それで良いのだろうか?いや、映画でもドラマでもなく実際は不公平にも悪人は痛くも痒くもなく一生を終える。

しかし!

その悪人のせいで大変な被害を被った人たちがいる、そういう事態を起こした張本人達は一生を終えてもそれで終わらない。罪を犯した場合、必ず生まれ変わって償わなければならない。それが彼らの罰だ。現生では逃げ切ってしまうため被害者達は悔しい思いをする。でも、次の世に生まれた時に必ず最悪の人生を与えられて一生を生きなければならない宿命を負う

これは仏教でもエドガー・ケイシーでも大好きな漫画の主人公「寺尾玲子」も言っている共通のことで、立証はできないが真実だろう。

蒔いた種は刈り取らなければならない

悔しい思いをした時、人に仕返しをしたいとか人を恨むとか人を裁くことが正しい道じゃない、、、と頭でわかっている。が、感情がどうしても納得できない。

密集した地球上で、人はそれぞれ別々の本人だけの時間、空間、を生きている。 だから自分の人生で間違えを起こしたり解消できないことがあったら次の人生で償う。他人も同様に同じような人生をおくる。

加害者からひどいことをされて逃げ切られた場合でも、次に生まれ変わった人生で彼は必ず起こした罪を返す人生をおくることになる。

もしも被害にあった場合、相手に恨みを持つのは悪い感情を持つことになって毎日が暗く悲しく自分にとって良くないことだけである。どうしても恨みを晴らしたいと思うのもわかるが自分のために考え方を変えることもできる

悪人への恨みに怒りなど仕返しは被害者のつもり積もった感情や弁護士の采配や法律で達成されるものではない、むしろ期待できないためよけいに悔しい思いだけが続く。

考え方を変えるというのは、加害者自身が蒔いた種を拾うことになるため次の人生で最悪の状態や環境で生まれ前世に起こした罪を償うということを理解すること。そのとき(時代)はもう、以前の本人だとは自分も他人も誰もわからない(前世の記憶はない)し確認は取れない。だた言えるのは、確実に犯した罪のブーメラン効果で最悪の人生で償うのであるから。

被害を受けても、悪人は彼自身の来世で必ず最悪の反省を受ける、だから悔しい感情は捨て負の感情で一生を生きずに自分を大事にしよう。