東京おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

「今の幸せ感」を感じることが、この苦境の時代を乗り越えるのに必要ではないだろうか

きょうは日差しもあって、穏やかで暖かい日になりましたね。

 

朝の続きですが、

なんで人生の目的を考えるのか? 日々気をつけてることはあるけど目的なんて考えたことがない、なんていう人はたくさんいると思う。または、たいていの人は目的といったら、マンションを買う、戸建てを買う、結婚して子供を産む、金を貯めて海外移住する、司法試験に合格する、、などなど、それらはすべて未来のこと。これが一般的な人生の目的というものだ、が、これらはブツブツと毎日自分の中の小さな人間が考えている「思考」というものが計画しているものである。

物質世界に生きているのでしょうがないでしょう?!

と思うかもしれない。ただ、自分達の内側にはまだ知らない(体験していない)「未知の領域 」があると思う。

 

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山を登るとする。危険な登山で油断をすると転落する山を登っている。その時の意識は、ただ登ることに集中し、他のことは考えられない。つまり、ブツブツと嫌いな奴のことを考えたり食べ物のことを考えたりという「うるさい思考」が停止している状態である。そしてついに頂上へ到着する! すると、いままでにない幸せな気持ちになるのである! その気持ちは満足感、達成感、と言われるが、その気持ちよさの本当の感情は、

「今、ここに在る(居る」

「今、生きている」と感じる瞬間なのである。

これが「今を意識する」「今を生きる」ということである。

無我の境地 ともいう。

無我 とは、エゴがない状態のこと、つまり思考が停止している状態である。

あれをやらなくちゃ、これを忘れないようにしなくちゃ、薬飲んだか?メールしなくちゃ、などの思考オンパレードで人は生きている。だから、無我の境地は日常で体験できることはない。

「今を意識する」「今を生きる」ことがなぜ必要かといえば、

幸せを感じる瞬間」だからなのだ。これが「未知の領域」と言われる、または本当の自分の意識=本質を感じた瞬間なのだ。

登山が好きな人は、「日常を忘れたたくて」とか「無心になりたくて」という。本当は、それは自分の中の未知なる領域に入って幸せを感じる、今生きてると感じる、ということだろう。それは思考が飛び交う日常では得られないことだから。

幸せになるために生きることが人生の目的ならば、この意識を習得することが人生の目的と言える。同時に、物質世界に生きているので20年間マンションを買うために貯金することは大いに必要だ。未来に欲しいものを考えることは「思考」がやっているので、思考が全部悪いわけではない。これはこれで十分に役に立つのだ。

だけれども、人生の目的の中で「自由になりたい」「束縛から逃げたい」といった精神的なものから離れたいという希望、目的の場合は物質的なことではないの「思考」から離れる必要がある。

とくに「今を意識する」ことで思考だけに優先されないよう、山登りの時の思考停止状態で「今の幸せ感」を獲得することが、精神的苦境の時代を乗り越えるのに必要ではないだろうか。

だからと言って登山は嫌いだし面倒だし危険だし、登山で体験するようなことを他にできないだろうか?・・・

2000年以上前の賢人がやったこと、それが「瞑想」というものである。先に書いた「未知なる心境」とは「瞑想」のことである。でも、瞑想はすごくむずかしい。普通は雑念があってできない。瞑想しなくちゃ!瞑想しないと何も始まらない!!と思うことが目的になってしまってうまくいかない。賢人は「瞑想」は目的ではない、という。そうです、手段が目的になってしまう、大きな勘違いです。 瞑想なんてしなくていい。登山なんてやらなくていい。よくわからない修行なんてやらなくていい。

まず必要なのは、ブツブツとしゃべる小さな人間が自分の中で未来を決めたり人間関係で悩んだりしている毎日の「思考」を、意識という静かな湖に沈めること(何も考えないでいること)をしよう。寝る前、バスタイム、トレーニング時・・・そして、その効果とか結果を気にせず、(気にするということは思考が活動してしまうことだから)あるがままに。考えることをやめて静寂をつくりましょう。