おとこひとり

語るモノコトのいろいろ

自分で知ることができない、誰にでもある心の中の深層心理のなかに存在する心を安定させる回路の誤作動

おはようございます('-'*)オハヨ♪

 

今日は長文ですヨ〜〜 (面倒な人は流してね)

いま、作家の森村誠一氏の本を読んでいるのだけど、彼は88歳。そして3〜4年まえにウツ病と痴呆症を患ったが3年で復帰。その時の体験を本にしている。

最近、自分は老いる=老後に、とても不安になっている(なぜか)。この本に、彼がウツ病になって主治医とのやりとりで、対話ではなく手紙を書いて往診するというスタイルをとっていた。その時の内容を赤裸々に書いている。かなり心細くなっている心理がとてもくわしく書かれている。年齢関係なくこの状態はとても参考になる。

早く病から脱したい、どんな病気でも医者が頼り・・と、思うのはおかしくないし、そういう人がほとんどだと思う。

しかし森村氏の本ではなく、別の医者の書籍には、

「医者は専門の技術を学んだんだけで人生の相談にのれるような人格ではないのだ。そんな医者に、死ぬことだの人生の意味だの相談やお伺いを聞くというのは、医者がかわいそうというものだ」

と書いてある。

医者は人生の師では決してない。自分も大いにそう思う。

毎日のように死に立ち会ってるからといって医者が悟った人間ではないし、むしろその逆で、シンプルに物理的な死に対処しているだけである、と言える。

このように医者自身の書いた本もある。しかし、森村氏のように「ただ頼れるのは先生だけです」といった切なる願いをぶつけるようなそんな関係もある。これは医者という立場を利用し自分が冷静になろうとする目的で良い意味で医者を利用しているのだと思う。医者の方はどう思っていたかわからないが。

森村氏のうつ病の治療で交わした先生への手紙があるのだがここで書こうと思う。こういう心情というのはとても心細い時にでてくる言葉でとてもよくわかるからである。こんなに正直に心細さの気持ちを書かれた文章はなかなかない。誰かに頼りたい、医者にならなおさらのこと心の訴えを聞いて欲しい、といった心境になる。それはしょうがないのかもしれないけど、さっき書いたように医者は人生の師でも悟った者でもない、ただの職業である。だから、森村氏の切なる訴えはとても悲しい。彼は”医者にすがるしかなかった・・・”と悲痛な叫びで恥ずかしいことだが本に載せることにした、と書いている。

(医者への手紙 省略&抜粋あり)

うつ病の重荷が少しでも軽くなるようにするには、どうしたらよいでしょうか。

多数の患者さんの中から大量の時間を割いて下さることをいつも感謝しております。

先生と対話しているときだけ。自分が生き生きとしていることを感じます。

どうか私を見離さないよう心よりお願いいたします。

ほんの1グラムでも、うつ病が軽くなるように頑張ります。

(略)

〇〇先生 最近食事と共にゲップがのどにからみ、ゲップが出難く、食欲が細くなっています。(略)なによりもうつ病から立ち直りたく、何もすることがない毎日と戦っています。1日も早く、うつ病から立ち直りたい。

(略)

救いの神は先生です。毎日がこれほど苦しいとはおもいませんでした。同じ状態はつづかないという先生の言葉が唯一の光ですが、明日が見えません。街を歩き、健康な人を見る度に。早く健康を取り戻したく、本当に元の人間に戻れるのかと不安を背負っています。

先生、私は快方にむかっているのでしょうか。

無数の人間の海の中で、なぜ自分はうつになったのか?

先生と出会えたのが大きなラッキーですが、現在の状態は明るい方角へ向かっていますか。先生の経験とよ予感を教えていただけませんか。

頼みのつなは先生です。先生に会うのが今の私の人生です。

 

この切実な心細さはとてもよくわかる。彼は小説家だから対話じゃなく医者に手紙を書いて治療を受けていたのだが、彼は自殺こそしなかったが(それは書いていなかったが)考えていたとしても不思議はない状況である。とくにこの1行からそれがうかがえる。

無数の人間の海の中で、なぜ自分はうつになったのか?

小説家だからこその表現である。

信頼できる心療内科の医者に出会うのはとてもむずかしい。大阪で心療内科の若い医者が放火で亡くなった。彼の診察でたくさん救われた人がいたかと思うととても残念である。

このブログを書くきっかけになったことだが6年前にサイコパスの上司のせいで精神的におかしくなって心療内科に通ったが、ちゃんとした病名はもらえなかったが毎回極度の緊張状態だと先生に言われたし薬も処方して飲んでいた。

人は病名を知りたくて病院へ行く。病名がわかれば安心するという変な心理があるが、うつ病でもパニックでもなんでもみんな根底は同じ対外的なストレスが原因で、心の中にある深層の意識の中で誤作動を起こすのことで発症するのだと思う。日々、何も感じていなくてもストレスがコップにいっぱいになってこぼれた瞬間に発症する・・ということだと思う。(これは発症スイッチの場合。原因は別にある)

そういう時に頼るのは医者。でも医者は特別な修行をして悟った者ではない。人として合う合わないもある。これがむずかしいところ。言えるのは頼りすぎると失望した時にその反動が大きい。病院へ行くにしても、行かなきゃよかったと想像すると行く機会を失いほんとにむずかしい。

森村氏の本には医者が言う脱するために心がけとして、

1)楽しいものを探す

2)のんびりする

3)美味しものを食べて、ゆっくりと寝る

そして森村氏が行ったのは以下

1)人と会う

2)喫茶店やレストランに行く

3)電車に乗って、美しい場所、珍しい場所へ行く

4)人を招く

医者のアドバイスとは一般的にこういうことである。逆にこれしか方法がないのだ。言ってることは当たり前のことである。うつ病や精神疾患にぜったいに効果があるものなど医者にだってわからないのだ。ただ気持ちを楽にして下さいね・・としか言えないのだ。話すことで楽になる目的だったら、医者の存在は意味があるだろうが。

いろんな書や経験からわかること、精神の不安定な状態になる原因は、

対外的なストレス

である。そして発症スイッチ

自分で知ることができない、誰にでもある心の中の深層心理のなかに存在する心を安定させる回路の誤作動

だと、自分は分析する。

対外的ストレスが溜まって発症スイッチがオンになる前に、原因を少なくすることが発症しないために必要である。感染症と同様、感染してからだと時間がかかる。発症する前に、無意識に積み重なった原因を消去していくこと。その方法が森村氏の医者が書いたように、

1)楽しいものを探す

2)のんびりする

3)美味しものを食べて、ゆっくりと寝る

であると思う。なんだか簡単でいつもやってるんじゃないの?と言われそうだけれど今の時代これは意外に出来ていないと思う。

本当に楽しんでる?

本当にのんびりしてる?

本当に好きなもの食べてる?

本当に熟睡できてる?

発症したあとでは面倒なことになる。ふだんから発症しないよう本当にときどき気持ちを楽にすることを実践してコップにたまったストレスを空にすること。予防としてこれをするのは、現代では絶対に必要だろうと思う。