ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

SNSの集団だから、誰の責任でもない、考えなくて楽、これが、人間の弱い部分にはまってしまった。SNSを通じて集団が良いと言ってるので良いのだ、という判断をする。同じぐらいの年齢なので大丈夫だろう、これが間違えでの始まりである。

持続化給付金詐欺。

セミナーで若者たちを集めて行われたらしい。この事件の重要な点は若い犯罪者が若い人をターゲットにした、ということだ。 

この犯罪セミナーが開催されたときに誘われた者が誰も疑問を持たず警察へ通報しなかった、これが現代の若者が頼るスマートフォンとSNSの盲点である。無知だから起こった、と言われている若者たちであるが、誘われた者たちの視点で考えると、これは知識がない、無知ということだけではなく、

  • 1)集団で行動すること正しいことだと錯覚。
  • 2)セミナーというもにまったく不信感がない。
  • 3)SNSとくにLINEが常識になっている。
  • 4)若い人が若い人をだますことはないという思い込み

これらが原因で人生という乗る列車を間違えたと思う。

この中で一番気をつけないといけないのは(ここでもいつも書いているが)セミナーというものである。

犯罪の常套手段、それがセミナーなのである。

まず犯罪者は、ただ聞いてもらえばいいですという楽な言葉で無料で誘う。その後、くどくどと長く説明する。そして客は説明を長く説明をさせてしまったので入会しないと悪いだろう、という気持ちを逆手に取られて入会してしまう。これがセミナーという悪徳商法の実態である。

1)〜4)の弊害は、スバリ、

ひとりで善悪の判断ができなくなっている

ことだ。

ひとりで考えて善悪を決定する。これはとても勇気がいることだ。この勇気がないのが今の若者が軟弱になってる原因である。ただ無知だから、というのは理由ではない。

今回の詐欺は、犯罪者が若い人間だった。ということ。

たいてい犯罪者は見るからに胡散臭い中年だったり、セレブ風の女だったりする。しかし今回はまるで大学のサークル、同人会のOBのような風態と年齢の犯罪者たちである。

SNSを通じて集団が良いと言ってるので良いのだ、という判断をする。同じぐらいの年齢なので大丈夫だろう、これが間違えでの始まりである。

たまたまたいした案件じゃないことをSNSで集団で決定したことが正しかった、これが前例になって犯罪やマナー違反の案件も正しいと思い込んでしまうことになる。

人間はそんなに強いものじゃない。石のような強い信念はなかなか持てない。SNSの集団だから、誰の責任でもない、考えなくて楽、これが、人間の弱い部分にはまってしまったのだ。

多数が正しい・・・これこそが大きな間違えです。

学校で一人で集団に馴染めずにいる人はすごく強い人です。逆に、いつも友人が多くて連んでいる人はひとりでいることが不安な弱い人間です。ただやっかいなのは、この弱い人間が集団に固まると間違っていても第3者たちに正しいと思われてしまうことです。これが集団心理の一つです。多くの人が言ってるのだから正しい・・・これのどこに説明つくか言えますか?言えないでしょう。

たとえば多数決で決まったことが正しい、は勘違いです。”正しい”のではなく多数の人の意見で進めましょう、そうしないと決着がつかない、というだけのことです。

どんなに誘われても、お得感があっても、絶対にセミナー又は集まり、講演会、説明会、などという名の集まりには絶対に行かないこと。親しいお友達にいくら誘われても仲が悪くなっても絶対にに行かないこと。もし家族がある人なら子供に絶対に行かないよう教育すること。

今はもうないだろうが仮設店舗で高齢者が自由に使えるマッサージ機をたくさん置いて使ってもらい高級布団を売りつけるという詐欺があった。

人は無料で親切にされると、とくに高齢者は悪いと思って、親切にされた(親切じゃなくて犯罪者の作戦)恩を返すというのが人として正しいと思う教育をされている。ただでマッサージ機を使わせることが詐欺の手口なのだ。

異常に親切な人、今時いない感じの世話好きな人、そういう人に「今度集まりがあるんだけど行かない?」と言われたら、詐欺か新興宗教の勧誘です。恩を感じず一切の縁を切ってください。(というか、はじめっから不審に思わないあなたがいけないのですけど。)心の中に楽をしよう、徳をしたい、そういうずるい思いがあるから騙されるのです。

そしてもっと面倒なのが、『人って皆、良い人だと思う・・・』というお馬鹿さんな考えをしている人です。

子供の頃からこういう考えを持っていると(親から教師から言われた影響もある)、いじめる奴らに牙をむいて戦いやっつける精神が宿らず、いじめっ子は良い人なんだ正しいんだと思ってしまい、自己否定の人間になって自殺を考えてしまうのです。

つまり、

だます方はしたたかで、だまされる方はおろかなのです。