アメリカの俳優ロビン・ウィリアムズを知っていますか?
昔、ロードショーでロビン・ウィリアムズの「グッドモーニング・ベトナム」を映画館で観たことがあった。
そのロビン・ウィリアムズは後年、病で苦しんで2014年に、自らの命を絶ったのだった。
人を笑わすのが好きでコメディーから後年はシリアスな役までこなし、映画ではセリフをアドリブでこなすことがほとんどだったという。
ニュースで自殺の報道があったとき、意外だった。
人を笑わせるというのは本人にとって相当なストレスがある気がする。精神的な原因だろうか?などと当時は思っていたが、そうではなく肉体にいろんな病が併発していたようで苦しかったに違いない。
人を笑わせ笑顔にさせる仕事をした人が、なぜ老年、病に苦しむことになるのだろうと、非常に不条理な気がする。これもカルマのせいだろうか?
思い出したように、そう、昔一度観たのだけれど、あの綺麗な映画をもう一度観てみたい、と思って「奇蹟の輝き」というDVDを購入。
「奇蹟の輝き」というのは日本語タイトルだけど、このタイトルは内容を間違ったものにしている。この映画のメッセージとは違う。
英語タイトルは
What Dreams May Come
どんな夢を見るのか・・・
シェークスピアの有名なセリフである俗に言われている「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ__」のセリフの後に続く一節だ。
映画のストーリーがシェークスピアのハムレットからインスパイアされているのがわかる!
死の眠りでどんな夢をみるのか・・・
死は眠りにすぎぬ__それだけのことではないか。
眠りに落ちればその瞬間 一切が消えてなくなる
胸を痛める憂いも
肉体につきまとう数々の苦しみも。
願ってもないさいわいというもの。
死んで、眠って、ただそれだけなら!
このセリフは、まさに死を言いえているのではないか!?
死については不安である。死も、死後も、死ぬ時も、すべてがわからない。だから準備も確信もできないことが不安だ。
しかし、
「死」とは 眠りにすぎぬ
「たった今、お眠りになられました・・・_と、死んだ人をこうよく言うではないか?
昔の人は永遠の眠りを死後の世界の入り口だと、知っていた。
毎日寝る睡眠は「死」とは違うが、死後の世界への旅行であると言える。
だったら、毎日、眠っていること=死 となり、不安はなくなるのではないか?
眠っているときに、自我の意識はない、と思う。
だれでも眠ってる時に起きてる時のような行動の意思は持てないわけだから。
睡眠中が本当の自分だという。
睡眠中の意識は別の次元へ行っているという。
しかし自ずから「死」を選ぶと、死後の本当の自分が長い間苦しむことになる。そのことはキリストも聖書でもブッダも他のすべての文献が語っている。少なくともそれだけは信じていいのではないだろうか。