ろくろく人生レポート

東京おとこひとり 改め:66才からの人生探求レポート

自分のことを喋ることを自分に許したような気がする

銭湯で、知り合い(友達未満、知り合い以上)になった人と、最近ひんぱんによく話すようになった。

銭湯で4、5年前から、最初はむこうから話しかけてきたときには、2、3の会話だけだったが、去年の年末〜年始にかけて、その常連さんと(あえて)話すようにした。銭湯の始まる時間前に入り口で並んで待つことにしたので、待ってる常連さんの仲間入りになって、さらによく話すようになった。

いままで、人との交流は避けてとおってきた。あえて素直に自分の性格を出さず、親しくならないような努力?をしてきた。

考えてみると、20代後半からいままで友達だと思っていた何人かは、自分のプロフィールを探ったり質問したりしなかった。(なぜかわからない。いつも疑問だった)

自分は気が合って親しくなった友人には、どういう暮らしだの好きな食い物はとか、仕事はどこで何してるのとか、普通に聞く。それは、相手に興味があるというより、せめて職業や年齢や出身地や住んでる地域など、親しくなったらそのくらいの情報は聞いてもいいし、聞くことで相手は「あ、自分に興味があるんだね」と、それが関係性のマナーと思っていた。そうでしょう?まったく何も聞かないというのは相手に失礼でしょう?

しかし、自分の方へは、そういう質問をいままでの友人から聞いたことがない(悲しいね)。本当にない。結構親しくなっても、なんで職業も会社の場所も何をしてるのかもどんな環境なのかも住んでる場所も、なんで聞かないんだろう?と、幻滅していた。そういう相手が多いことで自分が人と関係を深く持たないことにした理由でそれが深層心理だと、最近この歳でやっと自己分析ができた。

これは自分は相手から気を許せない、という印象だったのだろうか?

聞くなよ!オーラを無意識に出していたのだろうか?

または根本的に、ただその人から自分に興味がなかったのか?

自分から勝手になんでもしゃべった方が良かったのだろうか?

自分と他人の共通点が見出せない、話題もない、だから話こともない・・

または、飲み屋でよくあるマナーでは名前も職業も住む場所も何もかも聞かないという暗黙のルールがある酒場もあるのだが、聞いちゃいけない、というそういうノリだったのだろうか?(それはないだろうな)

自分のことなど誰も知りたいと思ってないよ、だから自分から言う必要もないし、聞かれないのは自分が面白くないからだから、当然だね・・・と自分に言い聞かせていたのかもしれない。

自分を露呈すること・・・これを無意識に逃げてていたともいえる。

これらについてが悲観的になってるわけではない。その逆で何で人は自分のことを聞かないんだろう?と、この不可解な疑問をあきらめていたのだが、

なぜか? だが、66才のここにきて、人生に開き直ったのか、自分から人と話すのが急に好きになったのか、自分のことを喋ることを自分に許したような気がするし、他人と関わることが自然に行動に移せ楽しく苦痛ではなくなった。