銭湯に通ってます。 もう生活の一部です。
銭湯に来る人はいろんな人がいる。
50代にしか見えない奇跡の86歳や77歳、75歳〜
男たちは皆、嫌味のない人たちで、これぞ苦労してきた昭和の大人たちと思える人たちで、でも、やっぱりなぁと思うのは(これは自分の趣味嗜好と違うからだけれど)、男たちはあたりまえのように競馬に、賭け事に、若いオネェちゃんが好きなようだ。
銭湯の開店を待ってる間も、いくら負けた!だの、これはどうか?だのそういう話を自然にしている。
そう、 自然にしている。
思うよ、人間はみな、違う、同じ人はいない と、言われても、この時ばかりは「皆、同じ!」とおもわざるおえないよ。
いや、別に批判などじゃなく、どうぞ競馬やギャンブル話で盛り上がってくださいね、と思うのだけど、その時間に自然に入れない自分が浮き彫りになる。
わかってる、共通の話は、きっと、ほとんどないよ。
きちんと会話がなりたつのは 天気の話だけかもしれない。
今朝は寒かったね とか。
銭湯という場所は裸の社交場。
裸だから はみ出しものの自分もいっとき、仲間になれる。
銭湯じゃなければ、きっと、ぜったいに、話も出会いもない人たち。
違う趣味嗜好を、違うからおもしろいね、と、思ってほしい。
タクシーに乗って、運転手に「今日のマジックはー。。」と話しかけられたときには、とても困ったおぼえがある。昔だけどね。今日の野球の試合のことを話かけられたのだが、ちょっと頭にきて「すいません、野球好きじゃないんです」て投げ捨てた。
それっきり話しかけてこなくなった。
(誰もが野球が好きだと思う、おまえの思慮深くないところが人を傷つけるんだ!という、すごい理論をつくったのをおぼえている)
飲み屋で隣になったダルマのような奴が急に落語のことを話してきた。はぁ?落語興味ないししらないものね、自分。と返した。そいつは「あれ、自分が落語を好きなの知らないの?」だと。
知るわけないじゃない、お前の好きなもののことなんか。と心で。
いったぜんたい、どこまでみなさんずうずうしいんでしょうね。
人の趣味嗜好は 誰も同じだと思ってるんでしょうか?
こういう悩みは実にくだらない時間の無駄、だけど、いまだに悩まされる問題でもある。
だからひとりが楽なんだ。