ろくろく人生レポート

66才からの人生探求レポート

自分が蒔いてしまった種だから

早いもので、もう3月中ばです。

あっとうまに春が来て、夏が来て・・・ぼーっとして生きてたらやばいね。

でも、ひとりぼっちが、やっぱり自分にはあってる。

 

人との関係は、むずかしいよ。

 

最近、思うことでその話をしようと思う。

愚痴に近いかな・・・いや、疑問かな・・

 

いろんな感覚、感情の人がいると言う当たり前の前提でいうと、ここ数週間、知り合った友人2人に連れて行ってもらった常連が集う場末の小料理&焼き鳥屋で、その親しくなった友人が自分の学歴をネタにその店で笑いをとった。これで2回目だ。

これ、よくある少女漫画で、都心の転校生が場末の不良少女たちに妬まれじめられるストーリーに似てる(自分が転校生ね)。

よく言えば庶民的、悪く言えば閉鎖的な街に移ってきた家族が周りからねたまれ差別されるというもの。

もちろん、自分は金持ちでもいい家でもなく、ただ行きたい進路に努力して、結果、大学に行った(そんな人はたくさんいる)ということだけなのに、彼らはそんなことなど関係なく、

「〇〇学校を出て〇〇大学を出たんだってよぉ〜〜このボンボンが!」

と、からかわれた。愛情ある言葉なのか?自分にはそう感じない。それも違う店で2回も。店の人も笑った。これは笑える話だろうか??(妬みだろうか?)

もう何十年も経ってから学歴をネタにされるとは思わなかった。

これ、笑える話題ですか?? 言い返せないよね、そんなに強くは無い。

本心、自分は笑って聞き過ごせないことだったが、場の雰囲気を大事にするという悪い癖が出て、自分の不満や怒りを表に出さずに、自分の気持ちを奥に隠してしまった(失敗した)。

自分の歩んだ大事な道を馬鹿にされた、笑いにされた、と言う重要なことなのに。

傷つくよ。ねたみを向けられてネタで笑いを取られ。

 

彼らがどう言う人生かはよく知らないが、貧乏だったり家業があったりで学校に行けなかった人はどこにもいるだろう。だが、それは個人の問題であって他人と比べてネタにして笑う話じゃない。

 

学歴を有するものが馬鹿にされるという差別。。そんなことを友人関係や飲み屋で話題にする者が現実世界に本当にいることに、相当にびっくりした。

(ここは自分のいる世界じゃない・・と思った。でも逃げないほうがいいのか?)

大昔は貧乏で学校に行けない子をいじめる悪ガキが小説などに登場した。しかし、いまは差別を重要視しているので、そんなことは許されない世の中。

でも、逆の差別は堂々と言えて許される。。つまり、彼らよりも高学歴の者を公でねたみにイヤミを大声で言うのは許されるのだ。

 

自分が本当の自分でいられる友達、恋人は、同じような生活環境とか、同じような学歴とか、同じような両親のもとに生まれたとか、同じような趣味とか、つまり、生活や暮らしや知識が同じでないとダメなのだろうと思った。そういう者同士でないと、どっちかが妬んだり、どっちも理解できないだろうと。 今までは生きてきた要因など関係なく心と心が共感することが大事だと思っていたが、それは現実にはありえないことだ、と思った。人は崇高な存在だから・・・などと理想を重要視すると、とんでもない間違えを起こす。

 

人に対する感情はいろいろあるだろうが、妬みという感情に、いままでの人生で感じたことはなかった。(あーこれが妬みというもものなんだ。なるほど。と思った)66歳になって、はじめて妬まれ、からかわれた。(必要なことだったのか?)

 

こんな時代錯誤の人たちがいる場所から逃げたほうがいいか? と思った。

 

しかし、正直、このこと(こんなこと流せばいいのに。。←というのはたぶん間違ってる)が、すごく気になっていた。なので、自分の深層に正直な気持ちを隠さないで表に引っ張り出してみようと思う。 何に対してもそうだが、ちょっとでも気になったことを心の奥に隠すと、それはいつか絶対に表に現れる。気になったら最初に逃げないで自分自身と対面すること。が、必要だ。

こういう優柔不断な感情を解決しないといけない・・さらなる試練ができてしまった。

あーしょうがない 子供のようなくだらない悩みだな。

でも 自分が蒔いてしまった種だから・・・