演歌の世界 歌詞、メロディーは大好きです。
ふるさと、星空、雪国、波止場、赤提灯、別れ・・・
ちょっとまてよー!
どれも自分とは関係ないじゃない?!
ふるさと と言ったら 東京。
東京で生まれて東京に住んでるので 哀愁もなし。
ふるさとを思い出して胸が痛い・・なんてのはない。
星空 なんて、見えないし。
雪国 なんて、ここにはない。
別れ はある。でも、演歌にの中のような別れなんてない。
だけど、演歌にひかれる。なんでだろう。
話変わるが、子供を学校などで教育させる意味は、いい大学、いい会社に入るため、親のエゴ、だけではないと自分は思う。
子供は何事も我慢することができない。まるで動物のようなもの。動物の彼らを人間にすること、感情を理解させること、これが子供の時に訓練させる事だと思う。
我慢することを教える、覚える。これが1番の教育だと思う。
なぜこんなことを考えるかというと、同じ年代の集団を経験しなかった子供は、自分の感情をコントロールすることをしない、覚えない。すぐに泣く、わがままを言う、怒り出す、まるで動物だ。同じ年代の集団で他人の行動を見てその良し悪しを感覚で覚える。他人を見て良い感情、悪い感情、を勉強する。その経験をしなかった子供は彼らがそのまま大人になったとき、人の感情に無頓着でわがままを押し通し、怒りや不満の感情をそのまま出してしまう瞬間湯沸かし器のような人間になってしまう。
・・・などと、まるで教育者のように語ってるが、べつに教育のことを言ってるのではなく、感情コントロールを覚えなかった子供が大人になったら、怒りっぽかったり、わがままだったり、人の感情に無神経だったり、犯罪者になったり、せっかちだったり、つまり、自分勝手な人間になる。周りにたくさんいるでしょう?彼らがそういう子供だった者たちです。
それはつまり、自分の感情をコントロールできない=俯瞰(ふかん)で見れない、ことが原因だと、思っている。
そんな彼らが、感情とは別に持っている優しさ、思いやり、そういうものを否定しているのではない、ただ、理解できない事や問題がおこった時に、怒りや恐れや不満、そういう負の感情がブレーキなく出てしまうことが問題だといっているのだ。これは人をとても傷つける。
よく聞くのは、「彼氏が優しい時と乱暴な時がある・・」といってる女性。
これはまさに、彼が感情のコントロールを覚えなかったからだと思う。
優しい時の彼と、気に食わない時に乱暴する彼と、彼女は、葛藤する。
「どっちが本当の彼なの・・・?」と。
でも、どっちも本当の彼で、好きだけど嫌い、、、のような状態になる。
こういう時、何が本当のその人なのか、理解できなくなる。
良い面だけを見るようにしても、いつ感情が爆発するか、安心して付き合えない。
原因は、相手自身も、わかっていない。だからなお、厄介である。感情的になった相手はそれほど自己嫌悪にはならない。しかし、そんな人は不思議と魅力がある。よく言われるような悪の魅力というのが、それだと思う。不完全で子供のような人、魅力がある。だが、その人には逆らえずに人生を振り回され自分の言いたいことも言えず、苦しい付き合いになるだろう。
人は感情を自分で俯瞰(ふかん)で見れるように、コントロールして良い感情だけを出すように訓練する、それが「人」になることだと思う。学校のお勉強は、いらない。
感情がコントロールできない大人と出会った。
こんなことが最近の自分にあった。
爆発する感情、単純な優しさ、自分勝手な行動、相手の感情を理解しない、落ち着いて話す事が難しい、子供のような大人・・・
把握で着ない言動、交差する感情。それに振り回される。
何か気に障れば 必ず怒り出す。
心の中をかき回されるようで、落ち着かない。
だから、逃げることにした。離れる。終わりにする。
できるなら終わりにしたくない。
でも一瞬はよくても、このさきを考えたら今、終わりにしないと。
自分の心の静寂を大事にしたい。
少しだけの未練をもって・・・
この未練の感情が、まるで「演歌」のようなのです。
失恋した時に失恋の歌を聴きたくなるのと同じで、
未練に苦しむ演歌が 心を平常に戻してくれる気がする。