おとこひとり

61才おとこがひとり語るモノコトのいろいろ

墓じまい・霊園とお寺の違い

あせらずに、終活にはいっています。

余命が・・というわけではなく、いまや終活を考えるのは常識となっています。

まだ61なのでせっぱつまったことではないけれど、ぼーっとしてる年齢ではありません。終活においては、お墓の行方 というのが一番の問題でしょう。

 

子供や配偶者がいない者たちにとっては、お墓を終わらせる「墓じまい」というのが今多くあり、墓を受け継ぐ子孫が居ない場合、墓を無くして生前に合同の墓に入る予約をする、と言うのが今一番人気があるようです(お寺情報)。

今日 初めて知ったのだが、亡くなった人の霊をおさめる場所として、霊園 と お寺 というのがあるというのが、ぼーっとしていて認識が無かった。決定的に違うのは、お寺は檀家(だんか)になる、ということだ。法要や行事を手厚くやってもらえ、代々お寺に供養してもらえる、というものだ。お布施をはらいお寺を維持するということが必要だ。

霊園ってのは公園式の墓地。宗教関係ない現代風の墓地ということだ。お寺でやるような法事とかお経とか、そういうものはない。お寺の習慣がめんどうな人にはいいだろう。お坊さんの供養をずっと・・・なんて関係ない、と言う人なら、霊園でもいいわけだ。しかし、ちょっと商売的な感じがするので霊園はイヤだという人もいるだろう。

日本人ってのは田舎に行くほど仏壇がある家が普通、ということは、だいたい仏の教えを代々引き継いでいるということだ。そうなるとお墓はお寺になる。死んだら、仏に救ってもらう、お寺で供養してもらう、という考えが普通になる。

テレビを観てると、年配のオバさんたちが友達同士で合同のお墓に一緒に入る約束をして、生前にお墓を作ってるのをよく観る。これは霊園ならでは、でしょう。いまや死んだら遺骨は土に蒔くとか、海に流す、とか自由に考える時代。

「供養」というのはいったい何なのでしょうね?供養とは自分でするものではないので、誰かに救ってもらうことである。しかし「供養なんて必要ない」と言う人がいてもおかしくないだろうがそれは、死んでみないとわからないことだと思う。

死者が供養が欲しくなるのは「死ぬときの状態」によるのだと思う。

苦しんで、悔しくて、死んだこともわからない、、そういった悲しい死をした場合、「供養してほしい」と、思うのが人間の本能だと思う。そんなことは生前の元気な時には想像もつかない、考えもしないことだと思う。

いろんな本から思うに、重要なことは自分の死後の行方ではなく「先祖の供養」ではないか?ということ。 つまり、現代のように情報が多くない時代に亡くなった先祖というのは、現代人のように「死んだら海に蒔いちゃって!」といった軽い思考では無いということ。 死んだらお経を上げて供養して欲しい、というのがあたりまえで、その考えは死んでからも残る。それは、今のように平和な時代ではなかったからしょうがない。 この先祖が自分たちのルーツであり自分とは違う存在ではないということ(なかなか実感はないが)、そこを軽んじると、いろんな意味で面倒なことになるのは想像できる。

 

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